媛媛講故事―20

                         
   牛郎と織女の伝説 Ⅱ             何媛媛

 



   翌日の夕暮れ頃、牛郎は老牛の言うとおり璧蓮池近くの桃林に行きました。桃林に行ってみますと、確かに桃の実がたわわになっている木があり、その上に、七色の衣が七枚掛けられています。牛郎はその中の桃色の衣を外して胸に抱え、林近くの芝生に座って静かに仙女たちが現れるのを待つことにしました。

 しばらくすると、遠くから女性達の笑い声が伝わってきました。目を凝らして桃の木の間を透かしてみていると、河から上がってきた七人の美しい女性達が、桃の木に掛けてあった自分達の衣を見つけ出して体にまとい、あいついで天に上っていきました。しかし、織姫だけはどうしても自分の衣を見つけ出せず途方にくれていました。牛郎は織姫の困り果てた様子を見ていられなくなり織姫の前に出て行きました。

 「あなたの衣は俺が預かっている。もし俺の妻になってくれるなら、すぐ返して上げよう」

 と牛郎は言いました。

 突然、目の前に現れた牛郎に織姫は大変びっくりしました。けれども、牛郎の誠実な顔を見、真面目に心を込めて話すのを聞いているうちに段々頼もしい人だと思えてきました。しかも今は体を覆う衣を纏ってないのです。あまりの恥ずかしさに、織姫は牛郎の申し出に無言で頷いていました。牛郎は織姫に衣を返すと家に連れて行き、二人は一緒に暮らすようになりました。

 牛郎からの申し出を受けて一緒に暮らし始めた頃の織姫は、天界でただひたすら織物を織って日を送るよりむしろ人間界で自由に生きる方が良いと思っていました。が、牛郎と一緒に暮らしているうちに段々と牛郎の誠実さ、勤勉さ、優しさなどに感動し、次第に心から牛郎を愛するようになってゆきました。

 その後、牛郎は畑仕事をし織姫は家で布を織り、二人は幸せな生活を続けて一年後には可愛い双子の赤ちゃんにも恵まれました。織姫は子ども達を育てながら、機織りを続けると共に周りの女性たちに美しい錦の織り方を教えました。言い伝えでは、織姫は天界から持ってきた蚕の種(卵)も皆に惜しみなく分け与え、蚕の育て方や、糸の取り方を皆に教えたりしましたので、その後まもなく人間界にも色彩の美しい絹織物が広がってきたのだといわれています。

 ところが一方天界では、織姫が錦の布を織らなくなりましたので、七色の美しい霞も見られなくなってしまいました。天帝は不思議に思ってそのわけを西王母に訊ね、織姫が人間界に下り牛郎という人と結婚していることを知らされました。天帝は大層怒って、「それは決して許されることではない。どんな方法でもよいから、織姫を連れ戻せ!」と西王母に強く命じました。

 或る日、牛郎は畑仕事に出掛け、織姫は子供たちと家に居ました。西王母は天界の兵士たちを引き連れて、牛郎の家へやって来ると、びっくりした子供たちが声を張り上げて泣き叫ぶのにも耳を貸さず、抵抗する織姫を無理やりに天界へと連れ去って行きました。

 牛郎が家に戻って見ると、家には泣いている双子たちだけで織姫の姿がどこにも見当たりません。心配した牛郎は泣き喚く子ども達を連れて老牛のところに行きました。老牛は織姫が天界で天帝の怒りを買い、閉じ込められてただひたすら織物を織らされるようになったことから始め、これまでのいきさつの全てを語りました。それを聞いた牛郎はがっくりと膝をついて、ただただ天を見詰め「織姫!織姫!」と空しく呼びかけるしかありませんでした。

 その姿を見た老牛は更に続けて言いました。

 「早くわしを殺しなさい。そしてわしの皮を靴にして履きなさい。そうすれば天に登れる」

 牛郎は驚きました。

 「そういわれてもおれにはとてもできない」

 「わしは、十分長く生きしたし、どっちみちこの先もう長くはない。どうせ死ぬなら、今何か役立つことがあればその方がどんなに嬉しいだろう」

 と心を込めて牛郎を説得しました。牛郎が決断しかねてぐずぐずためらっていると老牛は更に言葉を続け、

 「早く早く!間に合わなくなるぞ!」

 と催促しました。牛郎は側で「わーわー」と泣き続ける子供たちを見て決断し、老牛に向って深いお辞儀をすると刀を振り挙げました。

 牛郎は手厚く老牛を埋葬すると、その皮で手早く靴を作り足を入れると、不思議なことに体は空気よりも軽くなって、そのまま天に上って行くような感じを受けました。牛郎は大急ぎで二人の子ども達をそれぞれ籠に入れ、天秤棒の前後に担うと「お母さんに追いつこう!」と声を掛けると、途端に足は地面を離れてどんどん空高く昇っていきました。

 空へ空へと昇っていくうちに、織姫と西王母一行の姿が行く手に見えてきました。二人の子供も母親の姿が見えるようになると「おかあさん!おかあさん!」と声を上げて呼び掛け始めました。

 しかし、もう一息というところまで追いついた時、西王母も牛郎たちが追って来るのに気が付いてしまいました。西王母は頭からかんざしを抜き取り、牛郎の前で強く一振りすると、突然滔滔と流れる大きな河が現れ、その河は織姫一行と牛郎親子たちの間をまるで断ち切るかのように目の前に横たわっていました。河は底が見えないほど深く、絶え間なく高い波を打って流れ、牛郎と子ども達はなす術なくどうしても渡る事ができませんでした。

 織姫は河の向こうに居る夫と子供を目前に見ながら悲痛な声を上げてただ泣くしかなく、子ども達も河のこちら側で必死に「おかあさんー、おかあさんー」と呼び叫ぶばかりでした。

 悲嘆にくれる親子の姿を天上の神々たちも目にしました。神々たちは織姫たちのあまりの嘆きように同情し、揃って天帝のもとに行くと織姫一家への怒りを解いて欲しいと天帝と西王母に心を込めて頼みました。天帝も、西王母も、神々の心からの願いに心を動かされ、七月七日の夜、年に一度だけ織姫と牛郎の家族が出会い一緒に団らんできる日にすることを認めてくれました。
 でも、織姫たちの家族は滔滔と流れる河をどうやって渡って会いに行けるのでしょうか?

 実は毎年七月七日、世の中のカササギは皆この天の河にやって来、それぞれが広げた翼を連ねて橋となり、織姫はこのカササギの橋を渡って牛郎を訪ねると伝えられています。

 橋の名は「鵲橋」と呼ばれ、織姫と牛郎の出会いに欠かせない橋として中国の人々は誰でも知っている言葉です。また、中国には「鵲橋相会」という言葉もあります。織姫家族が、鵲橋を渡って、一年ぶりに一家が出会うことから、夫婦や恋人同士が久し振りに出会うときなどに使われます。

 そして、毎年の七月七日の日はどこへいってもカササギの姿を見られないそうです。何故かって分りますよね。この日に、世の中のかささぎは全て織姫一家の出会いのために、天の河へ上って「鵲橋」を作るからだそうです。


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